負の世界遺産<アウシュビッツ強制収容所>(その1)
こんにちは!!
直跳です!
お久しぶりです!
今回のブログは長めです!
*悲しい歴史の話なので、気分を害す事もあるので、ご了承ください。
リアルタイム、
パリに23時間の移動を経て、パリに着きました!!
トマト祭りの影響で、変なルート&移動費張り高かった。
しかも一緒におった子、バックパックパクられるという事態に!!
ばりだるい。
この日、俺らが行ったのは、
世界遺産、
この場所で起こったのは 目を背けるほど、悲しい歴史。
強制収容、人種差別、大量虐殺で歴史上、最大級の犠牲者を出したと言われていこの場所。
1940年代、
人種差別や民族浄化としての大量虐殺。
最悪の環境で強制労働を強いり、使い捨てのように人々を使いまわし、使えなくなると殺す。
強制的に行った人体実験。
それを行うために建てられたのがこの場所、
収容された人たちの、90%は何の罪も無いユダヤ人、
そして残りの10%は、政治犯、障害者、同性愛者、捕虜など。
収容された人数は何と約150万人。
(400万とも言われている)
その9割以上が、この場所で命を落としました。
彼らはこの場所で、無惨すぎる扱いを受け、多くの罪なき命がなくなる事になりました。
二度と同じ過ちをしないようにと、願いを込めて、世界遺産に登録され、
日本では、負の世界遺産という部類で呼ばれいます。
この日、自分の目で見て、感じたことは、
一生忘れないモノになりました。
朝、早めに起床し、6時すぎに宿を出発。
相変わらず左足の激痛は増すばかり。
バスターミナルに着くと、アウシュビッツのある街、オスフィエンチム行きのバスチケットを購入。
朝飯に、
ハンバーガー&ジュースのセットで、200円くらい。
ケバブは150円くらい。
コスパの良さにびっくり!!
ポーランド、ほんま安い!
7時のバスに乗り、2時間ちょいでオスフィエンチムに到着。
バス停からアウシュビッツまでは徒歩2分。
朝9時すぎやのにすでに人がやばい。
しかも雨。
その辺の売店で、日本語のガイドブックを購入。
入り口に並ぶ長蛇の列に加わります。
90分くらい並び続け、もう直ぐ入り口、
というところで、スタッフに話しかけられます。
スタッフ「ツアー券はお持ちですか?」
俺ら「ん?ツアー券?」
どおやら、ツアーガイド付きの入場券がないと入れなく、隣のインフォメーションでまた並び直し、チケットを購入してこいとのこと。
、、なんですと??
俺らの90分パー。
落ち込んでも仕方ないのでd、隣のインフォメーションに並び直す。
皆さん、アウシュビッツに行き際は気をつけてください!
たまたま、前に並んでたスペイン人の旦那さんと一緒に来てた、日本人のあさみさんと仲良くなり、一緒に回ることに!
再び並ぶこと1時間。
ようやくチケット購入、でもすでに12時15分の回しかなく、再び30分待機。
ツアー言語は英語。
またまた前に並んでたアンドレアと仲良しに。
9歳の子供も、来てることにびっくり。
イヤホンを受け取り、ようやく中へ。
三時間並びっぱなし、
足の激痛。
雨、
で入る前からだいぶメンタルやられまくってます。
ゾロさんは、呪われんのが嫌らしく、入り口付近でだいぶビビってました。
負の世界遺産で、びっくりするくらいの寒気を予想してたんですが、実際はそんなこた無いです、この時期は観光客が多く、周りは人だらけ。
アウシュビッツは3か所あったのですが、3つ目はもう壊されており、見学できるのは、第一と第二のみ。
まずは入り口にある有名な門を通って中に入ります。
上に掲げられた文字、
「ARBEIT MACHT FREI」
(働けば自由になる)
収容され、過酷な強制労働を強いられた人々は、毎日、この、無意味な文字を見ながら、何の希望もなく、数キロ先の労働場所まで行き来していました。
中に入ると、立ち並ぶ、収容者が生活をしていた建物がずらりと並ぶ。
イメージしていたのとは違い、
元々この場所の事を知らなかったら、穏やかな空気すら感じる。
ゾロさんも俺も、ヒヤッとして薄暗いイメージがあったので、びっくり。
観光客が多すぎて強くなることもない。
雨が降っているので、とても静かには感じる。
ガイドの説明と共に建物の中に入っていく、
チンプンカンプンな英語ガイドはゾロさんが訳してくれるおかげで助かりました。
当時、収容された人々が暮らしていたこの場所には、当時の写真や、彼らの私物から虐殺使われた道具など、様々なモノが展示されていました、
はじめは喋りながら歩いたいた俺らも、奥に進むに連れ、口を開けなくなってきました。
収容された人々が当時履いていた靴。
強制収容され、多くの不安の中、厳選し、持ってきた彼らの荷物は、到着と同時に、有無を言わず取り上げられました。
何も知らされずに、強制的に連れてこられた人々。
アウシュビッツに到着し、
意味もわからずカメラを向けられた彼らの目が、今でも頭から離れません。
彼らはこの後、悲惨な労働を強いられた後、死ぬことになります。
強制労働と言っても、実は収容された70%の人は、働くこともなく、殺されます。
それが、アウシュビッツに収容者が到着し始めに行われる作業、
選別
アウシュビッツに強制収容された人々は、3つのグループに分けられます。
・労働力
・実験体
・価値なし
この価値なしに部類されると、
ついてすぐに、シャワー室という場所に送られます。
収容された70%以上の人が「価値なし」と部類され、何もわからぬまま、このシャワー室に送られました。
そこで待っていたのは
ガス殺害
シャワー室と言われ、シャワーを浴びれると、大人しくシャワー室に入っていった人たちは、水が出てくると思っていた噴射口から出てくるガスによって、大量殺害されていたのです。
中に入ると、人がいっぱいいるにも関わらず、静かで、冷たい空気が流れていました。
この場所では32分間で800人もの人間を殺すことができました。
そして、殺した死体はすぐ横の焼却炉で焼いていました。
この「価値なし」の判断により殺された人たちはほとんどが、女性、子供、老人で、
殺された人たちが身につけていた価値のありそうなピアスなどは取られ、金歯などは抜かれていました。
この大量殺害に使われたチクロンBというガス缶が大量に使用されたのは、当時発見された大量のからの缶が物語っていました。
それ以外に部類された人たちにはそれ以上の過酷な現実が待っていました。
「労働力」に部類された人たちは、それはもう、過酷な日々でした。
肉体労働、死体処理、工場作業。
毎日、過酷すぎる肉体労働に加え、質素すぎる食事。
朝は<コーヒー>と呼ばれる濁った飲み物、昼は草を煮た味のないスープ、夜は300gほどのパンと少しのマーガリン。
栄養失調でなくなる人も多く、食料の奪い合いも多かったと聞きました。
当時の写真がその現状を物語っていました。
当時の子供。
ミイラのように痩せこけた女性。
そんな労働の中、兵士暇つぶしに、銃殺された人などもたくさんいました。
逃げ出したくなるそんな生活、そんな彼らが暮らす建物の周りは二重に張られた鉄条網。
そして、これには強力な電流が流れていました。
時には、苦痛に耐え切れす、自らこの電流に飛び込み、命を絶つ人も少なくはありませんでした。
もし、脱走などがあった場合、見せしめに脱走した人数の10倍の人を処刑していました。
そして、脱走者や、手助けした物、見せしめに、銃殺刑を行うのが、
人々が暮らすエリアの中にポツンとある
「死の壁」
ここから、1日に何度も、銃声が響いていたそうです。
廊下を歩くと、
話に耐え蹴れずに、泣き崩れていた女の子がいました。
この場所で笑う人は誰もいません。
泣き崩れていた女性を見ていて思いました。
この子は、
話がただただ悲しくて耐え切れず泣いているのか、
この女性の先祖が被害に遭っていたのあろうか、
または加害者側の子孫だろうか、
それか、他人か。
もし生まれる場所、時代が違えば、被害に遭っていたのは自分、友達、家族、恋人かもしれない。
もしかしたら、加害者になっていたかもしれない。
そう考えると、他人事ではなくなった。
第一収容所を一通りに終わると、次に向かうのは、
<アウシュビッツ第二収容所・ビルケナウ >
ただ、足の痛みがハンパない!
違う意味で限界近づいてきてます。
続きはまた次回!!
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終わり!